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津地方裁判所 昭和23年(行)4号 判決

主文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告が原告に対し自作農創設特別措置法により昭和二十三年十月一日附三重(は)四一〇一号買収令書を以て為したる買収処分中次の通り変更する。(イ)三重県三重郡川島村大字川島字佃五千六百六十五番の一田十八町歩 (ロ)同所五千六百六十七番田八畝二十六歩 (ハ)同所五千六百六十六番の一田一反三畝三歩、(以上耕作者小林なつゑ合計反別二反二畝十七歩)を除き (ニ)同村同大字曲り山田六千百三十九番田九畝一歩(耕作者稲垣与四郎)(ホ)同村同大字字目代四千九十九番田九畝二十一歩(耕作者稲垣与左衛門)(ヘ)同村同大字字佃五千八百三十四番田二畝二十四歩(耕作者山口じゆ)(ト)同所五千八百二十番田一畝五歩(耕作者右同人)(以上合計反別二反二畝二十一歩)を加う。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として、前記(イ)(ロ)(ハ)の田三筆はいずれも原告の所有に属するものなるところ、三重県三重郡川島村農地委員会は曩にこれを自作農創設特別措置法第三条に該当する農地として買収するを適当と認めて買収計画を樹てたので、原告から異議の申立を為したが却下された。そこで原告は更に三重県農地委員会に対し訴願を提起しようとしたがその時期を失したためそのままにしているうち、被告は右買収計画に基き昭和二十二年十月一日附三重県(は)四一〇一号買収令書を発行(原告はこれを昭和二十三年五月三十一日受領)し、他の田地と共に前記三筆の田の買収を行つたのである。しかしながら右処分は左の理由によつて違法のものである。即ちそもそも自作農創特別措置法の制定せられた趣旨は同法第一項に所謂「耕作者の地位を安定し」その「労働の成果を公正に享受させるため」自作農を急速に且つ広汎に創設し以て「農業生産力の発展」と「農村における民主的傾向の促進を図る」ことを目的とするものであり、従つて同法第六条第四項においても農地買収計画を定めるには農地を集団化し、且つ当該地方の状況に応じて当該農地につき田畑の割合を適正にすることを勘案しなければならないと規定しているのであつて、その趣旨は従来の地主階級に属する原告についても勘案せられ、小作人と同様将来自作農として、その地位の安定と労働の成果を公正に享受し得らるべき筈である。而して、原告が労働の成果を公正に享受するには自作農たるその地位の安定を必要とするのであるが、これがためには是非とも訴外小林なつゑが現在耕作している前記(イ)(ロ)(ハ)の田三筆を原告の自作地としなければならないのである。何故なれば(1)原告は当年四十七才にて扶養家族六人(妻すゑ当三十八才二男(新制中学二年生)当十五才、長女(小学校在学)当十才、三男当九才、五男当六才、六男当四才)を擁しているのであるが傷夷軍人なるため他に適職を得られず且つ又生計を維持するに足る資産もないので自作農となつてその生計を立てるほか他に途がないのである。しかるに原告所有の自作田の内鵯岡所在山林一町一反歩に包囲されている田二反八畝十歩(他に焼畑二反六畝十五歩存す)は極めて経営困難な最下級の焼田であつて労力並田の三倍を要し、しかも平年反当僅に三俵の収獲を得るにすぎない状態であり、これを開発する傍これに隣接する前記(イ)(ロ)(ハ)の田を自作しなければ労働の成果を公正に享受することができないのである。而して(2)原告方と小林なつゑ方の耕作人員を比較してみると原告方には胸膜炎稍快癒したりとはいえ、なお健康体にならない原告とその妻すゑ(当三十八才)のほか学業の暇を利用して時々手伝つてくれる二男徹(当十五年)がいるに過ぎない状態であるのに、小林なつゑ方においては同人(当六十才)のほか婿養子音茂(当二十六才)その妻たまゑ(当二十五才)の如き屈強な耕作者を有しているのである。それに原告方には前述の如くなお多数の幼弱なる子女がいるため却つて足手纒となるのでその居宅とも近接している前記の田を便宜且つ必要とするのであるが、小林なつゑ方の耕作者は皆足達者であるから原告が今回右田の換地として与える前記(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)への往復は容易なのである。又(3)原告、小林なつゑ双方の耕作面積を比較すると原告方においては田五反二畝五歩、畑五畝十五歩計五反七畝二十歩を有するのみであるのに小林なつゑ方は田五反六畝一歩、畑一反七畝二十三歩計七反三畝二十四歩を有し遥に地主たる原告を凌駕するばかりでなく前記(イ)(ロ)(ハ)の三筆の田合計二反二畝十七歩を失うとも前記(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)四筆の田合計二反二畝二十一歩を得れば却つて多少なりとも歩合を増すこととなるわけでありしかも右両者には良田悪田の差は全然ないのである。なお(4)前記(ニ)の田の耕作者である訴外稲垣与四郎の耕作面積は八反八畝二十五歩(ホ)の田の耕作者訴外稲垣与左衛門の耕作面積は九反二畝二十九歩(ヘ)(ト)の田の耕作者訴外山口ちゆの耕作面積は二反四畝二十九歩であつて、右原告の小作保有田を失つても稲垣与四郎と稲垣与左衛門とはなお現在の原告より多い耕作面積を有しておるのであるから、原告が前記(イ)(ロ)(ハ)の田の返還を受け原告の前記自作面積五反七畝二十歩に右田合計二反二畝十七歩を加え総計八反七歩の耕作地を得ても漸く同人等とほぼ同様の耕作面積となるに過ぎないのである。かかる次第であるから原告は右事情を訴え居村農地委員会に前記(イ)(ロ)(ハ)の田に対する同委員会の買収計画に対し異議の申立をしたのに対し同委員会は唯単に小作人の不承諾を理由として却下の決定をしたのである。

これ同委員会における主要人物が原告と利害相反する小作人なるためややもすれば前述の如き法の精神を忘れ、小作人側を利する態度に出でる傾向を有するがためであつて原告の悲憤に堪えざるところである。

よつて原告は右買収計画に基き被告が買収令書を発してなした前述の買収処分の変更を求めるため本訴に及んだ旨陳述し、なお原告は前述の農地が買収されないものとして計算すれば原告は現在田二町七反一畝十四歩、内自作地五反二畝五歩その余は小作地畑一町八畝十四歩内自作地五畝十五歩その余は小作地、とそのほかに荒田八畝十六歩を所有すると附陳した。

(立証省略)

被告指定代理人は「原告の請求はこれを棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として原告主張の事実中その主張(イ)(ロ)(ハ)の田三筆がいずれも原告の所有なりしこと及び右農地に対し原告主張の如き経過にて昭和二十二年十月一日三重県(は)四一〇一号買収令書を発行し、原告が同二十三年五月三十一日に右令書を受領したることはいずれも認めるが、その余の事実は否認する。被告の右処分については何等違法の点がないのである。

即ち訴外小林なつゑは田五反十歩、畑一反七畝十三歩、計六反七畝二十三歩の耕作者で、これを自、小作別にみるとその自作地は畑四畝十三歩で小作地は田五反十歩、畑一反三畝合計六反三畝十歩であるから小作面積は全経営面積の九十三%強である。ところで、該小作地の内原告から借受けている分は田三反六畝五歩、畑一反三畝計四反九畝五歩であるが、被告はその内から田二反二畝十六歩と畑一反とを原告より買収して同女にこれを売渡そうとするものであるから、これにより同女はその小作地五十一%の解放を受けることになるのである。而してこれを居村川島村全体の小作地解放率六十三%に比すれ★未だなお平均率にも達しない状況にあるのであつて、原告のいうように買収農地を変更するとすれば同女は全然農地の解放を受け得ない結果となり自作農創設特別措置法第六条第四項の規定に反することになるのである。

しかるに原告は右条項及び同法第一条の規定は農地買収計画の際地主にその買収地の選択権を認めている趣旨だと解しているようであるが、それは全く原告の誤解であつて右条項は却つて地主にその選択権を与えてはならないという意味に解すべきものである。

されば農林省からも買収に当つては地主に選択権を認めてはならない趣旨の通達を再三発しているほどである。その上原告はその主張中において原告方は小林なつゑ方より耕作労力の点において劣つていることを自ら認めているのであるし、原告方近隣の者等の言を総合判断すると居村屈指の資産家なることが認められるし又原告の本訴における請求は前記(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)の土地を耕作者から取上げ(イ)(ロ)(ハ)の土地を原告が自作し(ニ)(ホ)(ヘ)(ト)の土地を現在の小作人ならぬ(イ)(ロ)(ハ)の土地の現小作人小林なつゑに与えよというのであるが、かかる請求は前顕法律第十六条及び農地調整法第九条第三項の規定を全く解しない所論である。よつて原告の主張はいずれの点よりするも失当であると述べ、なお原告の所有地は田二町七反一畝十四歩内自作地二反九畝十九歩、畑一町八畝十四歩内自作地三反六畝二十二歩ほか収穫不定畑七段十九歩であると附陳した。

(立証省略)

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